教育

先祖供養は仏壇じゃなく心でもできる?

最終更新日 2025年7月8日 by amcgsr

1.変わりゆく供養の形

子供の頃、お盆になると父の田舎に帰省してお墓参りをしたものでした。
結構なド田舎だったので1日がかりの移動だったし、お墓は何と山の上の方にあったので、まるで登山遠足のようでした。

子供心にも墓参りは大変だと思ったものです。
今はいいけれど年を取ったらここまで来るもの一大事だと。

そんな懸念を払拭するかのように、近年になって墓じまいだとか永代供養などというシステムが登場しましたよね。
つまり、墓参りイコ-ル供養と一遍通りに考えるのは止めようという事なんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。

だって、少子化問題は年々深刻になるばかりですし、物理的にお墓参りが困難だという事情が有る人だって大勢いる訳ですよね。

ひとりっ子同士が結婚したら、両家のお墓参りをしなければならなくなって、それが日本の端と端にあったりしたら大変などというものではない事は想像に難く有りません。

2.樹木葬や海洋葬という形を採りたいと考える人も増えている

そういった意味では最近のお葬式やお墓に対する考え方は、非常に斬新だと言えるのではないでしょうか。
子供の負担を考えて、自分は従来のお墓に入るのではなく、樹木葬や海洋葬という形を採りたいと考える人も年々右肩上がりに増えていますよね。

でも、こういった人々は自分の死後に家族から忘れ去られても良いと思っている訳では決してないはずです。
ただ、お墓に行って花を供えたりする従来のやり方はいらないと考えているだけなのではないでしょうか。

このような視点で考えると、供養というのは何も見える形で行わなければならないという訳でもなさそうですよね。

でも、現在自分たちがこの世の中に存在しているのは、間違いなくご先祖様のおかげです。
その事を折に触れて感謝するという事こそが、先祖供養に繋がるのではないかと考えるのは都合が良すぎるでしょうか。

3.心の中で時々思い出すという方が故人は喜ぶのでは?

でも、現実問題として最近では誰も訪れる事がないお墓が放置されて、何十年もそのままにされているという話は枚挙にいとまが有りません。
だから合理性を考えるようになったというのも時代の流れなのでしょう。

そこだけに視点を当てれば合理性だけを追求するツメタイ世の中になったものだと嘆く人もいるのかもしれませんが、表面的に気が進まない墓参りを半ば強制的に行うくらいならば、心の中で時々思い出すという方が故人は喜ぶのではないかとも思えるのです。

日本従来の考え方であるお墓を守るという観念は、それはそれで支持出来ますが、もしそのお墓が放置されるという懸念があるのならば、供養は心の中で行うという事も視点に入れても許されるのではないでしょうか。

 

 

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